ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

人は皆「自由」だと言うくせに、他者の価値観を認めない矛盾

ここ数日はぶわーっと頭に出て来た疑問を紐解き続けているとんぼである。ごきげんよう。

  

そして今回は先日の記事についての矛盾を書いていこう。

 ◆子供達を信頼するとはどういうことなのか考える会

 

上記記事で、子供達は自由で、何があっても信じて愛していこうという話を書いた。皆誰もが自分で決断できるのだと。

 

では、なぜ私は友人に声を荒げて怒ったのだろうか。

 

友人がどう思うか、どう感じるか、どういった価値観を持っているか。それは友人の自由。私とは違って当然なのだ。

 

それなのに、相手の考えが許せないから声を荒げたんだろう?それ相手の自由を許してないじゃん。自分が正しいって叫んでるじゃん。

 

というわけで、少し私の怒りについて書いていきたい。

アンガーマネジメントに触れて気づくこと

私は普通の人よりは自分の怒りを客観的に見ているし、それなりに対策を取っている。毎日セブンコラムという認知行動療法も取り入れているくらいだ。

 

自分の怒り、恐怖、不安や焦りなどを客観的に分析して、その後の対応や思考法を毎日のように分析している。

 

とは言え、やはり自分で考えるのだから見えない部分もあるのだろう。今日考えた結論が、一週間後にはまったく違う結論に至ることもあるのだ。

 

もう少し集中して取り組んだ方がいいとも思っているが、外からの意見を取り入れてみるってのもありじゃないか?

 

というわけで、たまたま行った図書館でこんな本を見つけたので一読してみた。

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有名なアンガーマネジメントの超入門編という感じ。最初に読むならマンガが一番だと思っている。とっつきやすいし。

 

そして読んでみたところ一つだけ引っかかった考え方があった。それが、〜であるべき、という思考だ。

自由を語るくせに自由を許さないとんぼ

私は自由を愛しているし、子供達には自分たちの足で立って自由に人生を選択してほしいと思っているし、私自身も自由であると思っている。そう確信している。

 

どんな選択をするのもその人自身だ。意識的であれ無意識的であれ、その選択を選ぶ目的があって自分で選んでいる。

 

つまり誰もが自由に選択した結果、今の自分がある。それが私の考えだ。

 

だが、気づけば「誰もが自由である”べき”」という思考に支配されていることに気づく。

 

自由だ自由だと言いながら、息子が「僕は自由じゃない」と考える自由さを認められないのだ。

 

これ、やばくない?それに気づかないのが人間の怖いところだよね。恐ろしい。

 

過去に宗教にはまっている友人を何が何でも叩き潰してやろうと大げんかした経験もある。私とは違う価値観が許せないのだ。

価値観の幅を認めよう

人は皆、自分で選択して今の自分でいる。そして、それを選択するのはその人の自由なのだ。

 

だから息子が「自由じゃない」とのたうちまわるのも、息子の自由である。

 

そこに「違うよ!君は自由なんだよ!」と説教するのは、私の価値観の押し付けだ。「お前の考え方は間違っている!」と説教される息子が自由だと感じられるわけがない。

 

人の課題に平気で首を突っ込み、私こそが正しい、人はこうあるべきだと主張している。

 

そりゃ息子とぶつかるよなーという話。結局、私は課題の分離ができていないのである。

 

愛する姪っ子の母(私の長女)が、ネグレクト気味なのがとても気になったりする。君の愛情表現は絶対におかしいと文句の一つも言いたくなる。

 

私が心理学の実験や研究を100%ではないが参考にするのも、長女には洗脳されているように見えるらしい。逆にパワーストーンを作るおばさんの話しか聞かない長女は、私から見たら洗脳されているように見える。

 

いや、実際私も姉も洗脳されている可能性もあるし、どちらが正解なんてこともない。私も長女も、それぞれが「これを信じよう」と決めたのだから。

 

何を信じるかはその人の自由で、他者からどうこう文句をつけられる筋合いはないのだ。

 

こうあるべき、私が正しい、お前は間違っている。

 

根底にあるこの多様な価値観を認めないという私の決断が、怒りの源泉だと気付いたのである。

もう少し勉強したいアンガーマネジメント

簡単に「こうあるべき」という思考について書いてきたが、アンガーマネジメントについてはもう少し勉強していきたい。

 

どうしても自分だけの分析だと拾えない部分があると知った。

 

人はどのような状況の時に怒りを感じやすいのか、どういう状況が許せない傾向にあるのか。そしてそれをどう考えると対応しやすいのか。

 

そういった大まかな人間心理を知るだけでも、かなり内省の手助けになることだろう。

 

そして今後はもう少し、妻や子供達、また友人の発言や行動にも寛容になれることだろう。

 

意外に見落としがちな、大きな気付きであったな。やはり読書は最高である。

 

子供達を信頼するとはどういうことなのか考える会

最近は子供達と本気でぶつかってる感のあるとんぼである。ごきげんよう。

 

ブログに「心」を素直に書いていこうと決めてからは、少しずつ人の目を気にせずにクソ親にしか見えないことも書くようにしている。

 

ちょっと頭の中ばかりを書きすぎている気がしないでもないが、そういう時期もある。

 

子供達と向き合いながら、毎日毎日考え続けているのだから。

 

そこで今回は、子供達を信頼するとはどういうことなのか。少し書いていきたい。

愛されていると信じてないの?と言われた怒り

先日友人とがっつり話してる最中に何度か声を荒げて怒ったのだが、その時の怒りを色々と分析していたりする。

 

なんでこんなにムカつくんだろう。なんでこの言い方に声を荒げるほどに腹が立つのだろうか。

 

その一つが、この発言だ。

 

「あー、とんぼは息子くんの愛情を信じてないんだ?」

 

こう言われた私はかっとなり、

 

「違います!息子が私のことを愛しているかどうかは、私には決められないし誰にもわからないし息子にしかわからないんです!信じてないとかじゃくて、それはわからんけども、私は愛していこうって話ですよ!!」

 

と声を荒げて否定したというエピソードである。ステーキ屋で肉を食べながら声を荒げる私に、隣の席の人がドン引きしているのが見えた。まぁそういうこともある。

 

よくよく考えれば、こんな話自体あまりするものではない。頭のおかしい人に見えたかもしれないが、それが私である。こんな私が好きよ。

 

この友人が別に間違っていると言いたいわけではない。話の流れもあって私のクズエピソードを話したあとだし、人はそれぞれ持論を持っていてどっちが正しいなんてこともない。

 

ならばなぜ私はこの発言にこんなにむかついたのか。つまり、私の問題ということなので考えねばならん。

愛する自由、愛さない自由

息子とも最近口論しあうことも多いのだが、私は人は誰しも「自由」だと思っている。

 

それは心の話だ。行動に制限はあるかもしれないが、心だけは自由なのだ。誰を好きになるのも、嫌いになるのも。愛するのも憎むのも、それはその人の自由。

 

周りの影響も親の影響も大いにあるかもしれないが、どう感じるかはその人の自由で、いつでも決断できるのだ。

 

ただ子供はなかなか難しい。親に愛されないと生きていけない分、どうしても親に好かれるための決断をしてしまう。

 

それも少し大人になれば、選択をし直すこともできる。

 

借金漬けの父親が全ての元凶だ!と憎むことで自分が安心できるなら、当然のように死ぬまで父親を憎み続けるという決断をするだろう。

 

大人になって、親に幻滅して、縁を切る。親とは2度と会わない、顔も見たくない、自分の足を引っ張る邪魔な存在。全ては親のせいだ、と決断することもできる。

 

どのような決断を下すのも子供達の自由だ。

 

それなのに「息子が私のことを愛していると信じる」とはどういうことじゃ!!!と怒ったのがこの私、「自由」に敏感なとんぼである。

 

つまりは親を愛するかどうかも子供達が決められるってことが、どうしても言いたかったわけです。

 

とくに私はステップファザーで子供達と血が繋がってないこともあって、子供達の自由意志に任せたいという傾向が強い。

 

そして「子供が愛してくれていると信頼する」ことに違和感を感じる私は、やはり子供達を信頼しようとしている。

 

はて、では私の中での「子供達を信頼する」ってのは、一体どういうことなんだろう?と改めて考えてみたわけだよ。

何があってもその人の存在を認めること

つまり私が言いたい信頼ってのは、息子の心とか感情とか行動は一切関係がない話だということさね。

 

息子が私を愛さなくても、愛してくれたとしても、裏切ったとしても、例え犯罪に手を染めたとしても、私を殺しに来たとしても、それでも息子の存在を認めていこうということだ。

 

どんな決断をするかは全て息子の自由で私には決められないからこそ、存在を認め、信じ続けるという姿勢を持つこと。

 

どんな君も認めよう。何があろうと、君という存在があることが嬉しいんだよ。

 

それが信頼で、愛情で、親に与えられた最大の仕事なのではないかと思う。

 

これは私の中の定義でいわば理想の話だよ、それを今できているかは不問にしてほしいぞ。

発達障害の娘との関わりの変化

ちょっと前に記事に書いた娘の暴力の話がある。

◆暴力が日常茶飯事になった発達障害の娘を死ぬまで信頼してみようの会

 

この記事のことを実践してから、だんだんと私と娘の関係がよくなってきた。ついでに妻と娘の関係もかなり良くなっている。

 

今までは叩かれた時にはムカついてイライラしたり仕返しをしたりしていたのだが、最近は「痛いよ、やめて」と冷静に注意できるようになった。

 

そう言うとどうだ。娘はやめてくれるのだ。おまけで1~2発叩いてくることもあるが、大抵の場合はすぐに手を止める。我慢しているのが見て取れる。

 

そうやって毎日毎日続けていくと、娘の手が出る頻度がかなり減ってきた。減ってたし、今になって思う。以前の私はどこかこう思っていたのだ。

 

どうせ娘の暴力癖は治らないだろうな。

 

そう漠然と感じながら対応していたように思う。だが今は少し違う。今は、なんというか。

 

この暴力はいずれ治るだろうし、治らなくてもいいよ。娘は娘なんだから。

 

そんな感じになった。仏の域に近づいているな。

 

すると、娘との関係は驚くほどに良好になって明らかに叩かれる頻度が減った。顔を近づけたら私の顔を触ってくるし、寝室で寝てたら抱きついてきたりする。

 

だから、そう。いいんじゃないか。私のことをどう思っていても、どういう存在であっても、何があっても、認めていこうよ。それこそが信頼で、愛情なのだ。

信頼するために乗り越えるハードル

以上、「信頼」とはなんぞやーという頭の中を記してきた。

 

そして今の私は、信頼とかそういう問題以前のハードルが超えられずにいるのである。

 

私はまだ子供なのだ。実家で親にずっと愛されたい。誰かに愛され続けたい。認めてもらわなきゃ生きていけない。そんな子供だ。

 

親として子供達を愛するためには、まずは私が成長して超えなきゃならない問題がある。勇気を出して変えていかなきゃならないことがある。

 

今回息子からの好意を受け入れようと勇気を出して、息子との関係も良くなりつつあるが、それも数ある問題の一つにすぎない。

 

私も妻もまだまだ子供で、自立できていないのだから。

 

でもまぁ、そんな急に全てを解決できないからね。こうやって地道に一つずつ潰していくしかないのだ。

 

楽じゃないけど、楽しい道なんだよ。あまりおすすめしないけど。

 

息子から愛されることも嫌われることも、全てを受け入れようの会

毎日のように自分の心の中を分析しまくっているとんぼである。ごきげんよう。

 

分析しまくった結果、さらに深い部分を見つけたりして昨日と今日で言ってることが全然違うことがある。

 

ブログを順番に読んでいれば、ただの情緒不安定な人にしか見えないかもしれない。ただどれもその時の本気の私だ。

 

そして今回は、息子からの愛情を勇気を出して受け止めてみた話をしたい。

 

息子の話というよりも、自分語り多めなので注意されたし。

息子の好意に対する嫌悪感

息子は父である私が大好きである。それはもう、周りから見たら明らかに「パパ大好きな息子」という感じ。

 

でも、私はその息子から発せられる好き好き光線がはっきり申し上げて嫌いである。

 

いつも「いいお父さん」風に書いている私だが、それは子供達と適度な距離感を持っている時の話。

 

お互いがお互いに干渉せず、いい感じの距離感を保っているならわだかまりも何もない。ただ、ぐいぐいと一線を超えられるとイヤになってくる。

 

ここでは息子の行動や、それに対する私の非情な対応をいくつか見ていこう。

逃げ出し意地悪するお父さん

昨日も書いたが、息子の好きというパワーというか、かまってほしいというパワーがすごすぎて受け止めきれない。私には抱えきれない。

 

必ず私と手をつなぎ、私とテレビを見たら私のひざの上に座り、暇があれば抱っこしておんぶしてじゃんけんしよう。

 

妻にはそこまで遊びをせがんだりすることはない。私にばっかり来るもんだから余計に嫌悪感が増す。

 

やめろ、こっちに来るな。話しかけるな。

 

そんな嫌悪感が湧き始め、最初は相手をしてもだんだんとイヤになって私は走って逃げたり意地悪をして追い返したりする。

膝の上に座らせないお父さん

義母の家に行くと義母がなんでもやってくれるため、子供達と一緒にTVを見る時間が増えたりする。

 

そうなると息子はソファから降りて私をソファ代りに座ってこようとするのだ。うーむ、いかにも親子って感じだね。

 

でも、それは断固拒否。本当に嫌だ。こんなにベタベタされたくない。勘弁してくれ。

 

といった嫌悪感を感じる私は、息子が座ろうとした瞬間にすっと身をひき、ストンと床にしりもちをつく息子を何度も見てきた。

 

あ、でもこれ、無意識の話だからね。無意識の話ってよく書くけど、「意地悪してやろう!」と計画的にやっているわけではないということ。

 

こういう状況があったら、自分でもわからないけどなぜかどす黒い感情につつまれてそういう行動をとってしまうという話である。

 

無意識を意識するって、難しいんだよ。マインドフルネスなんだよ。

絶対に目を見ないお父さん

そしてもう一つ。これは以前に記事にしたと思うのだが、今でも私は息子の目を見ることはない。

 

息子は遊びをせがむ時、きっとキラキラとした目で私を見つめているのだろう。

 

だがその表情を見たことはほとんどない。見ない。というか、見れない。視線から発せられる好き好き光線が眩しすぎて直視できない。勘弁してくれ。

 

そして私は逃げて行くのである。これは物理的に、走って逃げて行くぞ。その結果鬼ごっこになることも多いくらい、私はよく逃げて行く。

 

だって、耐えられないんだもん。

受け入れたあとに拒否される恐怖

人が私をどう思うかは、私が決められることではない。

 

これが私に根付いている基本思想である。誰かに嫌われても、怪訝な顔をされたり微妙なリアクションをされても、以前よりダメージを受けなくなってきた。

 

しかし、それはどうでもいい他人の話。

 

一度相手から認められていると認識した相手に嫌われるダメージはその比じゃない。

 

思い返せば、今までにそんなことがあった。いくつか紹介すっぞ!

母親に否定された話

中学時代に不登校になって、高校にも行かずに一年ふらふらしていた時期にやる気を出して勉強を始めたことがあった。

 

でも集中する方法や環境とか、何も知らない私はまったく勉強が手につかない。そのことを母親に相談したのだ。

 

「どうしても集中できないんだよ!勉強したいのに!」

 

そう告げたあとの母の言葉をはっきり覚えている。

 

「バカだからじゃないの」

 

絶句という言葉がぴったり。あぁ、もうこの家にはいたくない。今すぐ出て行きたい。そう本気で思ったりした。

親友になると思った友人の話

夢を追いかけ勉強しながら働いていた時の職場の友人の話。

 

いわゆる親友になれそうなほどに相性がよく、夢を語り、未来を語っていたりした。

 

だが当時の私も勉強の仕方がわからない。3歩進んで2歩下がるという毎日を送り、いまいち勉強が進まずにいた。

 

そのような状況が続いてどうすべきかわからんと愚痴をこぼしていた時に、友人からこう言われたのだ。

 

「とんぼさんには無理だと思いますよ」

 

そうか。お前もか。怒りというより、悲しみしかない。

コールセンター時代の友人の話

他にもあるよあるよ。私が本気で悩んで苦しんでいて少しずつ前に進んでいた時、よく悩みを聞いてもらっていた友人に言われたぞ。

 

「とんぼは口だけで、何もやろうとしていない。悩んでいるふりをして人に相談ばかりしてくるくせに、変わる気もない。行動も遅い。もうとんぼの話は聞いても意味がないから、聞き流そうと思っている」

 

これね。今までの人生で多分これほど怒ったことないんじゃないかなってくらいにぶちぎれた記憶が鮮明に残っている。

 

よく乗り越えられたなと思う。

裏切られたら私の心は耐えられない

そんなわけで、もし息子の強すぎる愛情を受け入れてしまったあとに、息子に裏切られたら私の心は壊れてしまう。

 

「この子は私のことを愛してくれている!」

 

この無防備な思い込み、怖くないか。ATフィールドの中に息子をいれてしまって、そっから嫌われたらどうするんだ。死んでしまうぞ。

 

というのが私の無意識の判断じゃないかなーと思う。

 

ただ面白いのは、発達障害でのほほんとした娘には一切そういった感情がわかないし、大人で時間をかけて愛を育んできている妻にもあまりそういう恐怖を感じない。

 

妻と娘なら目を見られるし、娘に大好きーとハグされたらほっこりする。

 

息子に大好きーとハグされたら拒否したくなるし、息子だけ目が見れず、逃げ出したくなる。

 

つまりは、息子と今後もうまくやっていける自信がないということだ。いつか絶対に裏切られる、嫌われると思い込んでいるから逃げているのだ。

 

そういう意味では、妻と娘が私を裏切らないことを心から信頼しているとも言えるな。

勇気を出すしかない!

こうやって色々と書いてきたが、息子の目を見ようとしない自分なんて普段まったく意識していないし、ぐいぐい来られた時の拒否感も気づかないことも多い。

 

じっくり考えてみたら、そういう行動や感情が湧いているよね。という話だ。

 

でもそこに気づいたらやるしかない。びびって諦めるのではなく、息子の愛を真正面から受け止めるしかない。

 

だって今の息子が私を愛してくれているのは明らかなのだから。

 

勇気を出すのだ。例えいずれ嫌われることになったとしても、ずっと愛されるとしても、それを決めるのは私ではない。

 

私に決められないことをあーだこーだと悩んでも仕方ない。

 

嫌われることを受け入れることと同じように、愛されていることも受け入れるのだ。

 

嫌われる覚悟はとっくにできている。ただ、愛されていると認めた上で嫌われる覚悟ができていないだけ。

 

変えられないことばかりに注目して逃げるのじゃなく、今、素直に私に向けられた愛を受け入れるのじゃ。 

勇気がくじけた時に気付けるかが今後の勝負

ということで、昨日辺りから勇気を出して息子の愛を受けいれる姿勢を見せた。

 

息子と一緒に過ごすとところどころ「うっ」となる部分があることに気づくが、気付いたら勇気を出して受け入れる。

 

それを何度も何度も繰り返した結果、息子の目も見られるし、膝の上にのせて一緒にテレビを見ることもできた。

 

そして嫌われるかもしれないという恐怖を感じつつも、私の主張をはっきり述べる。息子がそれでどう感じるかは、息子が決めること。

 

自分が正しいと思う行動をとって、そして相手からの素直な反応を全て受け入れよう。 

 

これができて、初めて子育てのスタートラインという感じだね。

 

ただ問題があるとすれば、この勇気がいつの間にかくじかれてしまう可能性があるということだ。

 

今はいいが、一週間後、一ヶ月後に同じような勇気を出せるかと言えばとても怪しい。勇気というのは、簡単に引っ込んでしまって元の私に戻ってしまう。

 

そうなんだよね。アドラー心理学が勇気の心理学って言われているのはよくわかる。

 

結局は、自分を変えるのに必要なのは勇気を出すことなのだ。

 

いやー、アドラー心理学って本当に噛めば噛むほど味が出るなー。実践する甲斐がある。

 

あと10年くらい実践すれば、今よりいい感じになってると思うよ。

 

特別支援学校に通う娘の授業参観に父一人で潜入した話(2回目)

本日から令和となるが、元号が変わって私の何かが変わるわけではないと再認識しているとんぼである。ごきげんよう。

 

現在はGWの真っ只中とはいえ、その前に学校関連で色々と書きたいことがある。

 

そこで今回は、娘の授業参観に一人で潜入した話を書いていきたい。一人で行くのは2回目だね、前回はこちら。 

◆特別支援学校に通う娘の授業参観にお父さん一人で潜入したぞ!

 

なんでお父さん一人で授業参観に行くのか

さらっと”一人で授業参観に行ったよ、2回目だよ”と書いたが、そんな簡単な話ではない。

 

今一度状況をよく考えてみてほしい。

 

引っ越してきたばかりの重度の発達障害の娘が通う、特別支援学校の4月の一番最初の授業参観なのだ。

 

妻が行くか二人でいくならまだしも、明らかにステップファザーの私が一人で行く案件じゃないでしょ?

 

ではあるのだが、子供達のスケジュール関連をすべて妻に任せていたら、ある夜にこう言われた。

 

「やばい!明日娘の授業参観だった!どうしよう!」

 

よくある話だ。というか、去年私一人で授業参観に行った時もまったく同じ状況だった。

 

まぁ、ステップファザーとか正直関係ないからね、私の娘だから。まぁいいかということで、拒否もせずに行くことにしたのである。

 

以前の記事と比べてみたら私の成長が見て取れるな。素晴らしい。 

朝の会から潜入する父親

この日は授業参観ということで、私が娘を学校まで送って行くことにした。そしてそのまま送迎から朝の会を見学するというコース。

 

玄関先では娘が暴れまくり、上履きを投げて先生を叩いていた。

 

相変わらずだなぁと苦笑しながら遠目で観察する。前の学校と比べて玄関が狭く、他の生徒でごちゃごちゃしててちょっとやりづらいかもしれない。

 

先生たちは朝から元気よく代わる代わる娘に挨拶をしていた。

 

その姿を見ていると、学校が変わると雰囲気も変わるもんだなーと感じる。

 

前の学校はなんというか、みんなで褒めて褒めて盛り上げて行く感じだったが、この学校の声かけはどこか友達感覚のような、そんな雰囲気。

 

どことなく対応に軽さを感じたりもする。それがいいかはよくわからないが、よくない気がする。

 

こういった子供達や先生方の姿を見られるのは意味があるし、他の親御さんも朝からの様子をさぞや見たいだろうと思っていた。

授業参観に私一人しかいない(2回目)

と思ったら、朝の会を見たいなんていう奇特な親は私一人だった。

 

以前も同じようなことがあったな。何で誰も朝の会に来ないんだろう。私の考え方がおかしいのだろうか。

 

とにかく朝の登校から付き添って教室に入った私は一人。まさにVIP待遇で、先生たちと適当に話しながら子供達の様子を見ることに。

 

娘は拒否もなく更衣室でささーっと着替えて、その後は先生に絵本を読んでもらえてご満悦。

 

やはりこちらの学校も同じで、9時前に登校してから朝の会が始まる前の30分以上はゆったりとした時間が流れている。

 

みんなが着替えるのを待ったり、遊んだ道具を片付けさせたり。こういう時間は必要だよね。

 

娘もニコニコで、たまに後ろを振り向いて私に手を伸ばしたり、私に近づいてきてハグをしてくれたりした。

 

うむ、頑張っているね。

参加できない娘は楽しくなさそう

朝の会で切り上げようかと思ったのだが、他に誰も親がいないし本当に帰りにくい状況。

 

帰ろうかどうか悩みに悩んだ結果、学校側の対応に少し疑問もあったため1時間目の授業も見て行くことにした。

 

他の親御さんたちも、やはり授業を見たいのだろうね。授業が始まると5〜6組みほど来ていて安心した。

 

そして肝心の授業はといえば、みんなで大きな紙に文字を書いたり絵を書いたりするというもの。

 

中には手本を見ながら漢字を書ける子がいたり、綺麗にはみ出さずに塗り絵ができる子もいた。

 

そんな中、娘はレベルが足りていないと判断されたようだ。制作物とは無関係の塗り絵とクレヨンを渡されて放置状態。

 

つまらなさそうに、ひたすらぐりぐりと大きくはみ出しながら塗り絵をやる娘。

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やる気がある時はもう少し綺麗に、枠にいれて塗れるのになーと思いながら先生たちの様子を観察しつづける。

 

30分くらい放置されて娘だが、最後のほうでは一人の先生がついて一緒に参加することができてほっと一安心。

 

そんなこんなで2時間がっつり授業参観をした私は、目立たぬようにフェードアウトして終わり。

まだ始まったばかり

以上、一人で授業参観に潜入した話である。見てもらえばわかる通り、正直な感想を言えば微妙だった。

 

前の学校はもう少し娘に対する愛情みたいなものがはっきりと感じられたが、今回の授業参観に参加した限りビジネスライクな対応に見えて仕方がない。

 

そして朝の会の前にあったウォーミングアップ(軽い運動)もないし、朝の会の前に片付けを促す音楽もなし。

 

何だろう、支援のレベルが一段落ちてる気がする。

 

とは言え、別に全て前の学校のようにやってほしいなんて思っているわけじゃない。生徒の数も減っているが、クラスを担任している先生の数も少ない。

 

さらにまだ四月で先生たちも慣れていないだろうし、子供達も流れがまだわかっておらず理想的な支援はできないのかもしれない。

 

先生たちも人間だしさ、四月から愛情たっぷりの神がかった支援ができるわけでもないだろうさ。

 

とにかく、向こうには向こうの事情があるはずだ。今後も定期的に授業参観があるので、様子を見ていきたい。

 

前の学校が良すぎた可能性もあるが……気になるところだ。 

 

妻が仕事のため、GWの一日を朝から晩まで子供達と過ごす父の奮闘記

今日は朝から晩まで子供達と過ごす日で、どっと疲れたとんぼである。ごきげんよう。

 

妻は正社員のため、どうしてもGWの10日連続は休めないという。ブラックに片足突っ込んでいるぞ。

 

そして子供達二人を私一人でずっと見るのは大変だからと、義母がお昼過ぎまでは見てもいいよと言ってくれていた。

 

にも関わらず、何を考えているのか私は断ったのだ。

 

「いえ、私一人で見られるか試してみたいと思ってますので、この日は大丈夫ですよ」

 

というわけで、最近の私の進化が試された一日の記録である。ちなみに先日3人で過ごした時は地獄を見たので、こちらもよければどうぞ。  

◆娘と息子と3人で動物園に行くと笑顔で自由にさせるのは不可能説

 

朝から色々と考えさせられる

朝は9時とかまで眠ってくれないかなーと淡い期待を抱いていたが、子供達は7時から起きていた。あるよねー、休みの日の早起き。あるあるー。

 

妻は仕事に行き、朝食を食べていなかった子供達におにぎりとウインナーを提供。だが二人ともほとんど食べず。

 

ゼリーしか食べてない息子が言い出したのがこれ。

 

「アイス食べていい?」

 

いやダメだろ。ゼリーやアイスばっかり食べるのが許されると思うなよ!!こっちは栄養状態を管理してるんだぞ!!

 

と、軽い一悶着があったのだが。お菓子の食べ方もなかなか難しい問題だ。経験も大事なのだが、無制限というわけにもいかん。

  

お菓子は一日一種類まで、家にあるものを自分で選んでいいとか。親も子も納得できるいい感じのルールを話し合って決めていきたいね。

車中の気になる話

そして朝食のあとは、私の実家に遊びに行くことになっていた。

 

「30分したら帰ってよ!」

 

と事前に実母から言われていたりもする。実母は子供達があまり好きではない。嫌いでもない。

 

ただ天気予報が雨で行く場所もないし、実家にいる姪っ子と子供達で一緒に遊んでくれるかも!という作戦である。

 

そして、そこそこの時間をかけて実家へ行く車中にて、息子の気になる発言があったので記していきたい。

 

「僕は、体と頭の成長が一緒で5歳なんだよ。姉は体が7歳で、頭が2歳なんだよ」

 

これね。

 

何を思ったか、妻が息子に”娘の発達年齢が2歳半”だという話をしてしまっているのだ。

 

うーむ。いや、娘が発達障害だとか、成長が遅れているという話はわかるのだが、発達年齢まで話すものか?

 

非常に微妙である。そして息子の話し方からは、完全に娘をバカにしている空気が読み取れる。

 

「僕は頭がいいんだよ!」

 

ため息が出る。どう対応していいかわからん。わからんので、「みんなできることは違うけど、上も下もない。同じなんだよ」という話を何度か繰り返したが。

 

何も響いてなさそうだったな。この件は、また別途記事にしたい。

公園での気になる話

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実家に行く前に近くの公園で遊ぶことにした我々3人。そして公園のベンチで休憩中に、毛虫が地面を歩いているのを見つけた。

 

黒くて気持ち悪いやつ。毛虫。娘も息子も毛虫だーと近づいて見ていたのだが、次の瞬間。

 

娘が毛虫を思いっきり踏んづけたのである。

 

おいおい、かわいそうじゃないか!何もしてないぞ毛虫は、と注意をすると暴れまわって怒る娘。それでもビシッと注意をした。命を無駄に奪うなと。

 

すると、息子が隣で涙を流していた。

 

「毛虫さん、かわいそう。もう天国に行っちゃったの?」

 

お、おう。そうだね、天国に行ったかもしれないね。というか感受性豊かすぎない?

 

その後の息子は涙をふいて、余っていたお菓子を毛虫の死骸のそばにおいていた。 

 

共感する力がまだ乏しいと感じる息子の涙に、普通に意味不明だなと思いました。そんなこぼれ話です。

我が実家での話

長居はするなと言っていた実母であるが、実際に行ってみればご馳走も作ってくれてアイスクリームもジュースも準備くれているという神対応。ありがたい。

 

3人でパクパク食べて、そこそこに満足。そして実家での子供達の様子も書いていこう。

娘と姪っ子の事件

娘はあまり乗り気じゃなかったのか、ご飯が終わってからはぼーっとして、そのあとに「かえりたーい」と連呼するようになった。

 

切り上げるには時期尚早のため、娘が何か遊べるものはないかなーとおもちゃを探しにいってた時である。

 

姪っ子が大泣きしながら私のところにきて、教えてくれた。

 

「娘がミニオンの人形盗んでいった!!!返してって言ったら叩かれた!!」

 

お、おう。娘の手が出たか。そりゃ出るよな。すまんな。

 

それなりに二人に対応して、娘もごめんねーと謝ってくれてその場は収まったが。いやー、目を離せないよね。

 

基本ずっとかえりたーいと言ってて、参ってしまったな。

息子と姪っ子のマイクラ

息子が楽しみにしていたのは、姪っ子とのマインクラフトである。

 

私のiPadとiPhoneで二人で遊べるため、あまり会う機会がない二人も仲が良さそうに遊んでいた。

 

ただ姪っ子の口がかなり悪い。小学校1年生の6歳なのだが、息子に対してめちゃくちゃ言い方がきつい。

 

「お前のつばが飛んできた!気持ち悪い、つば飛ばすな!」

「私の家に入るな、出ていけ、邪魔!邪魔!邪魔!」

「またつばが飛んできた!汚い!あっち行け!」

 

うわー、めちゃくちゃ言うな!と思って見てたが、息子はケラケラ笑いながらずっと隣でマイクラを楽しそうにやっていて、最終的には二人で冒険に出かけたようだ。

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いやー、鋼のメンタルっていうか、すごいよ。心折れるぜ、あんなん。

「僕は自由じゃない」アゲイン

実母と姪っ子に別れを告げた帰宅途中の車で、息子が疲れたのかイライラしだした。そこで「15分昼寝したらパワーアップするよ、やってみたら?」と提案した私。

 

息子はすんなりと受け入れて、すっと眠り15分経過。そこで声をかけたものの、息子は起きず結局少し長めの昼寝となる。

 

そして家について、目を覚ました息子は怒り出した。

 

「ぜんぜんパワーアップしてない!ぱぱの嘘つき!」

 

いや、寝すぎだから。15分以上寝たら意味ないから。

 

「じゃあなんでもっと大きな声で起こしてくれなかったの!?起きるまで起こしてよ!」

 

知らんがな!起こしたし!起きなかったのは自分だろ、人にせいにすんな!

 

「本当は眠りたくなかった!パパが怒ると思って仕方なく眠ったんだよ!いやだったんだよ!!」

 

私は昼寝したら?と言っただけで、断ってもよかったんだよ!嫌なら嫌だって言ったらいいじゃん、君は自由なんだよ!

 

「違う!僕は自由じゃない!」

 

そんな口論を、帰宅後に30分程度繰り広げた。今回は私は怒らずニコニコしながら口論できたぞ!成長したな。

 

ちなみに息子は泣いて叫びまくっていたよ。面白いね。

 

前回怒ったやつは下の記事。いやー、なかなかに面白い論争だった。

◆5歳の息子が「僕は自由じゃない!」と怒り出して激しい口論をした話

クレヨンしんちゃんを見て終わり

というわけで、帰宅後の自由論争も終わって 3人で風呂に入ったあとは、クレヨンしんちゃんの映画DVDを見て、号泣して終わり!

 

妻が帰ってくるまでほぼ滞りなく、大きな怪我や喧嘩をすることもなく無事に一日を終えた。

 

メンタルも問題ないし、ストレスもほぼ溜まっていない。

 

いやー、成長したな!!!

 

妻が帰ってきたら大げんかの真っ最中ってのが定番であったが、なかなかうまくやったもんだと思う。2年も一緒に住めばこれくらいできてしまうよね!やるじゃん!

 

以上、久々に長ったらしいただの日記であったが、細かい考察はまた次回にしよう。疲れました。

 

おやすみなさい。

 

遠足の弁当がキャラ弁ではなかった息子が「恥」と感じたことの考察

ちょっとした気に入らないことがあったので書いていきたい。

 

息子の遠足があり、私も妻もいつも通りでいいだろうと弁当を作って持たせたのだが、弁当が半分以上残っていたのだ。

 

具体的には、おかずは食べられているがお米だけほぼ全て残されていた。

 

最初は「お腹がいっぱいで食べられなかった」と言っていた息子だが、寝る前には真実を教えてくれたよ。

周りの子はかわいい弁当だったらしい

息子がいうには、周りの子はいわゆるキャラ弁ばかりで、みんなかわいい弁当だったそうだ。

 

我が息子の弁当は正にシンプルな漢の弁当を持たせた。別にひどいもんじゃないぞ。

 

ご飯にハンバーグ、うずらの卵にソーセージ、ネギ入りの卵焼きにエビチリ。デザートにぶどうも持たせている。

 

え?これ十分でしょ?何が気に入らないの?

 

と私としては思うのだが、息子は周りの子がみんなミニオンとか猫ちゃんとかの弁当を自慢していたことで、我が家の弁当を「恥」だと認識したようだ。

 

息子は「でも弁当おいしかったよ、ありがとう」と気をつかって言ってくれる。言ってくれるが、友達に弁当を見られるのが恥ずかしかったからささーっと切り上げたのだろう。

 

だから、毎日給食をおかわりしている大食漢の息子が弁当を残してきたのである。

 

むかつくなー

何でこんなにむかつくの?

周りと比べても意味がないというのが私の基本的な思想なので、周りがキャラ弁だったから何だってんだという気もしなくない。

 

息子の弁当の何かが変わるわけじゃないからだ。

 

だが、どうだ。周りがみんなキャラ弁とか、かわいいデコがなされた弁当だったら、おそらく耐えられん。というか、これ耐えられる子供いるのか?

 

そりゃさ、クラスの中に数人かっこいいかわいい弁当の子がいるくらいならすごいなーで済むけどさ。

 

ほとんどの友達がキャラ弁だったら、無理だろ。さすがに息子に「それはお前の問題だよ、変えられない他人のことは気にするな」とは言えないでしょ?

 

というか、大人でも厳しくないすか、それ。会社でみんなが愛妻弁当食べてる中、同じテーブルで一人だけカップラーメン食うの厳しくないすか。

 

私たちの弁当はカップラーメンじゃないですがね!!!!

 

まあそれでもさ、大人だったらまだマシだよ。みんな事情があるの知ってるから。

 

でも幼稚園児だぜ。みんながやっていることがやってもらえていない自分って、そりゃ劣等感とか、愛されていないって感じちゃうじゃないすか。

 

美味しい精一杯の弁当持たせたのに、愛されてないって思っちゃうじゃないっすか。「恥」だと認識して、残してゴミになってしまったじゃないっすか。 

 

いやいや、知らんがな。これむかつくなぁ。

 

キャラ弁禁止にしろとか言わないけどさ、キャラ弁が当たり前ならそうプリントに書いてくれませんかね。

 

むかつくなー。

これからどうするか  

このある種強制的な環境にむかついてむかついて仕方がないのだが、何でこんなにむかつくのかといえば、私の問題ではないことも大きい。

 

どんな弁当であれ、それをどう感じるかは息子の問題だ。息子の問題だから、私がどうこういうことではない。

 

私や妻は自分たちにできる精一杯をしたまで、それを息子がどう感じるかは、息子次第。

 

だが学校という狭い世界で、周りが皆当たり前のようにやられていることをやっていない現状、これを自力で何とかしろというのはハードルが高くないか。人生に影響しかねない。

 

上履き忘れて、一人だけ裸足で歩いてるあの惨めな感じ、わかるでしょう?皆が当たり前にやってることができないことに、どれほどのネガティブな感情を持つか、自分が子供の頃を思い出せばよくわかる。

 

結局、息子は寝る前に笑顔で言っていた。

 

「次は僕もかわいい弁当作ってね」

 

いやわかっているよ、やるしかないんだよ。ただ、やるしかないのがむかつくなー!!!

 

とりあえず、イライラは止まらないが、いい勉強になったってことでよしとしよう。そうだね、幼稚園からはキャラ弁って必須だったんだね。

 

こんだけイライラしても、怒ったとしても、「キャラ弁は作る」という選択肢を選ぶのは我々だ。

 

半強制なのがむかつくなー!!!!

 

 

 

追記

少し時間をあけて考えると、私たち親が弁当を作る目的は「息子に栄養のあるご飯を食べてもらうこと」である。

 

弁当を「恥」と感じた息子が食べないのなら、我々の目的が達成されていない。

 

ならば最高のクオリティは必要ないにせよ、息子が「恥」を感じずに食べられるレベルの弁当は用意せねばならないのだろう。

 

というのが、暫定の答えです。イライラも少し落ち着きました。ありがとうございました。

 

妻不在で子供達と3人で過ごす夜に、何の準備もせずに挑んでみた話

息子の寝かしつけに時間を取られ、睡魔と戦いながらこれを書いているとんぼである。ごきげんよう。眠い。

 

本日は普通の何もない日ではあったが、妻が仕事にて親睦会があるとのことで夜は帰ってこられないという。

 

妻の母に子供達を見てもらうという提案も受けたものの、断ってみた。

 

というわけで、子供達と3人で過ごして寝かしつけまで完了したのが今である。お疲れさまだ。

 

少し思うところもあるので、久々に感想を書いていきたい。

一緒に住み始めた当初の3人の夜

何度かこのブログでも書いたことがある。月に2回、妻が仕事の都合で夜に帰ってこないので私が子供達と3人で過ごすのだ。

 

だけども、これがもう不安しかない。あれが失敗するかもしれない、これが拒否されるかもしれないと私は前もってかなりの準備をしていた。

 

お風呂後の着替えとか、食事とか、寝る準備とか。子供達が何かに気をとられたり、拒否されないように徹底的に準備するのだ。

◆妻が仕事で帰らない!?一人で子供を見るパパの極意とは!

 

なんだろうね、確かに生活がスムーズにいくように準備するのは別に悪いことではないんだけども、今は思う。

 

子供達を思い通りにしたい。支配したい。私の想定通りに動かしたい。

 

そんな思いがあったのだろう。

 

コントロールしたいっていう無意識が確かにあった。自由を謳っていた当時から何となく違和感をもっていたが、今はわかるよ。

 

支配しないと、私が困ってしまうから。だって大変だもん。3人で過ごすの。

 

そんな当時を思い返しながら、今日は何にも準備せずに挑んでみたぞ。

何も準備していないお父さん

今朝はまだ少し体調が優れなかったというのもあったが、子供達が帰ってくるまでの時間にほっとんど何も準備しなかった。

 

それでも、何とかなるだろうというふわーっとした自信があった。なぜかと言えば、もはや子供達を支配する気がないからである。

 

上手くいかんこともあるし、お願いを聞かないこともあるだろう。

 

でも、いいじゃないか。それはそれで。

 

いつもは子供達を20時過ぎに寝かしている我が家だが、ちょっとやそっとトラブって就寝時間が1~2時間ずれたところで、人生に大きな影響があるだろうか?

 

妻がいないのだから、いつもとは違うし想定通りにいく方がおかしいってもんだ。

 

それを何が何でもいつもと同じ時間に、いつもと同じようにやってやる!という姿勢では、私も子供達もきっついよ。

本日の流れを振り返る

というわけで何も準備しないまま挑んだ本日の夜。

 

送迎後に帰ってきて3人で風呂に入ると、息子は声をかける前に汚れた自分の靴を勝手にタワシで洗っていた。

 

体をふきながら娘に顔を叩かれるも、痛いからやめてと告げたら手を止めてくれたり。嫌がるドライヤーで多少暴れながらも我慢してくれたり。

 

入浴後も暴れることなくゆったりテレビを見て、レゴで遊びながら夕食を待つ子供達。 

 

息子は食後に手を洗い、寝巻きに着替えて、明日のカバンをいそいそと準備をしていた。

 

娘も食後に一人で手を洗って私のサポートありで着替え、薬も拒否なく飲んでくれた。

 

19時45分には歯磨きも何もかも全てが終わって寝るだけに。少しかわいそうだったので、3人でマインクラフトを30分ほどやってニコニコになったらそのまま寝室へ。

 

妻がいなくて寂しいと添い寝を希望してきた息子。断るもんでもないなと1時間程度付き合って、今に至る。

 

うむ。なんか、こう書いてみると何か込み上げてくるものがあるよね。

 

この子達はこんなにも成長していたのかと。

 

日常生活で必須の習慣がほとんど身について、私が何度も注意したり事前に準備してコントロールするまでもない。

 

蓋を開けば、何もなかった。ただ私が一人で追い詰められていただけか。

毎日が修行である

今回はこのようにかなりスムーズにケンカもせずに終わった1日であったが、今後も子供達と3人だけで過ごす日はくる。

 

その時にはまた、娘が暴れまわったり、息子がわがままを言ったりと私の思い通りにいかないこともあるはずだ。

 

それも毎日子供達と接しながら子供達に対する考え方や意識を調整していけば、きっと想定外の超えられる気がしない高い高いハードルも乗り越えられるよ。

 

少しずつ子供達と一緒に成長していくのじゃ。 うむ、考えれば考えるほどに修行ですなぁ。

 

そんな感じで、修羅場を潜り抜けて気づけば一皮むけていたとんぼと子供達であった。

  

暴力が日常茶飯事になった発達障害の娘を死ぬまで信頼してみようの会

家庭訪問が二件立て続けにあり、今日も今日とて疲弊しているとんぼである。ごきげんよう。

 

最近は息子の話ばかり書いてきたので、久々に娘の話も書いてみたい。

 

なぜ娘のことをあまり書かないのか、というのも自分でも少し気になるので考察していきたい。だって、このブログの人気カテゴリって「娘のこと」だからね。

 

その割に全然書かないけどさ。

娘との関係性で壁にぶつかっている

息子はあーだこーだと自己主張したり屁理屈を言ったりするので、私としてはただただ論理的に話をするだけだ。

 

息子が何を考えているのか、何を訴えたいのか、冷静に考えればわかる。わかるし、こちらの対応に一つずつリアクションをしてくれるのでわかりやすい。

 

成長して変化した息子に対して、一つずつこなしていくだけである。

 

だがそれと比べて娘はどうかと言えば、私の印象は”パチパチクソ野郎”というものから大きく変わらない。

 

朝から叩かれる。送迎時にも叩かれ、帰宅後にも風呂で毎日叩かれ、引っ掛かれ、寝る前にも叩かれる。

 

とにかく叩く叩くで、そればっかりに気をとられてそれ以外のことが目につかないという感じ。

 

さらに3歩進んで5歩戻るといったように、体調によって今日できたことが翌日にはまったくできなくなったり、今日たくさん話したと思ったら翌日には一切喋らなくなったり。

 

なんというのかな、息子と違って順番通りに成長していかないので、正直成長してんのか何がなんだかわからない。

 

それでも毎日叩かれて、そのストレスに対応するので精一杯。

 

だからかなぁ。私の中では「変わらない娘」という印象があるのかもしれない。成長しているのは間違いないのだが、私にはブログに書くほどの変化がわからない。

 

こう書いてみると、娘との関わりが薄いのがよくわかるね。

手が出る娘の全てを信頼する

最近どうしても手が出てしまう娘にストレスが限界に達していた私。いや、私だけでなく妻のストレスも結構限界だ。

 

一言で「手が出る」と書いてるが、このストレスはとんでもない。何もしていないのに叩かれたり、急に指を掴まれて爪でぐぐぐーと押されたり引っ掛かれたり。

 

一度ならいいかもしれない。それが2度3度4度と繰り返されるのだ。娘といる間は常に叩かれる可能性がある。

 

顔を近づけたく無いし、正直近づくのすらいやだなと感じることもある。

 

多分、この「叩かれる」ことに対する拒否感をなんとかしないといけないのだろう。

 

どれだけ愛情を示しても、どれだけ娘との絆が深まった気がしても、真顔で突然攻撃されれば築いたものが全て崩れて、また立て直しての繰り返し。

 

これじゃあどうしようもない。

 

今までも色々と考えてきたが、娘に対しどう考えたらいいのだろうか。対応とかじゃなくて、どう意識すれば私は前に進めるのだろうか。

 

考えに考えた結果、結局は”信頼する”という一点にいきつく。

 

何度叩かれても、どうしても手が出る娘も含めて信頼しよう。娘には娘の事情があるのだろうし、止められないことなのかもしれない。

 

「叩かれたら痛い、やめてほしい」と何度も何度も何度も何度も、私が死ぬまで伝えようではないか。

 

それが娘に伝わらずとも、娘がどうしても手が出るのが止められなかったとしても、何度裏切られようがそれでも娘を信じてみよう。

 

そして私はただ、娘に伝え続けよう。

 

結局、それしかないんじゃないか。

デイサービスの先生から聞いた話

ちなみに、私や妻がこんなにも娘に叩かれることにストレスが溜まっているのは、その対処法がわからないということも大きいのだろう。

 

叩かれて叩かれて叩かれて叩かれて、正直どう対応しても叩かれるのでどうしようもない。

 

何をやっても意味がないと感じてしまい、希望の見えない対応にストレスがさらに跳ね上がるのだ。

 

だが先日デイの先生から聞いた話だが、暴力はその都度その都度注意していくしかないと。手が出る寸前で止めるくらいに、何度も何度も教えていくしかないということだ。

 

上で書いた信頼じゃないけどさ、ひたすら続けていく以外に道がないことをそろそろ理解すべき時なのかもしれないね。

娘を全力で愛そう

というわけで、結局は愛にいきつくこのブログ。

 

叩かれたとしても君を愛している。何があっても何度裏切られても君を信じ、愛しているよ。

 

ただそれだけの話さね。

 

叩かれて崩れるだるま落としのような愛じゃなく、叩かれてもびくともしないような愛を築き上げるのじゃ。

 

何度も伝えて、それでも叩かれて。現実はいたちごっこになるかもしれないが、それでもお前を愛してやるよ。

 

この問題を乗り越えるために妻と結婚したようなもんだよ、なめんじゃねーぞ!

 

家族として距離が近くなると子供の行動を客観的に判断できなくなる話

本日はちょっとした親戚の集まりがあって忙しかったとんぼである。ごきげんよう。

 

ひきこもり上がりの私としては、自分と親戚の関係で悩みまくるのは恒例行事なのだが、今回は別の話。

 

最近息子の生意気さとか屁理屈さとか、その自由さとか親に対する態度とか。そういったものを乗りこえつつあるが、毎日のように現実的な問題が突きつけられる。

 

そこで今回は、本日の親戚の集まりを経て気づいたことを書いていきたい。

 

息子との最近の話は、こちらを読んでくれたらわかるはず。

 

外で従兄弟と遊びたい息子と阻止するお父さん

今回の集まりはそこそこに多くの親戚が集まっており、その子供達も何人かいた。幼稚園〜中学生くらいの従兄弟たち。

 

家の中での集まりなのだが、息子は他の従兄弟たちと庭に出て遊びまわりたいという。

 

だが見たところ、道路がすぐ目の前で車通りも多く見通しも悪く、飛び出せば交通事故に合う可能性がかなり高い場所。

 

娘はもちろんだが、息子をここで果たして放置していいものか?非常に微妙である。

 

なので最初は外に出て、一緒に手を繋いで行動していたが。すぐに「いやだいやだ、一緒に遊びたい」と息子が言い出した。

 

確かに従兄弟たちは危ない場所ではあるが、走り回って遊んでいる。

 

当然道路には飛び出さないように子供達も気をつけているっぽいし、息子をずっと掴んだまま過ごせるわけもなし。

 

結局イライラしながらも、道路には飛び出さないことを条件に手を離し、解放した。

 

そしてすぐあと、妻が道路の向かい側に停めた車に用事があるということで道を渡ろうとしたら、すーっと後ろについて道路を渡ろうとする息子がいたので強制的に止める。

 

「道路でちゃダメって言わなかった?」

 

「出ない!!ママに話があったんだよ!!!!」

 

と大声で怒り出す息子。そういうことじゃねーんだよふざけんなボケが、とイライライライライライライライラする私。

 

その後も道路に飛び出さないようにひたすら娘と息子を見守りしていた。

 

息子は自由に過ごし、従兄弟のお兄ちゃんお姉ちゃんに連れられてあっち行ったりこっち行ったり。

 

親なんていないようなもんで、楽しそうに自由を謳歌していたさ。

 

ちなみに娘は割とおだやかで、かたつむり食べようとしたのがハイライトかな?

 

今日はそこそこに機嫌がよかったな。

親をないがしろにする感じはまだムカつく

先日記事にもしたが、愛してくれないなら、私も愛さないという思いが私の中に根付いていた。

 

だから今回、息子が親なんて邪魔しかしない!僕は遊びたいんだ!といった態度をとるのは、普通にムカついたりする。

 

むかつきすぎて、

 

はぁ!?てめーの自由になんかさせるかよ!

 

と、邪魔したくなる気持ちもある。あるからこそ、イライラしたのである。

 

それでも私はもうわかっているのだ。愛されていないと感じた時の私の負の感情も、意地悪したくなる気持ちも。こんな態度は絶対に許されない!という愛の復讐さね。

 

わかっているから、少しは冷静に自分の感情を見つめられる。

 

あー、こういう態度に私はむかついているんだな。息子が自由に、親なしで道を切り開いていこうとする姿を見ると、足を引っ張って引き摺り下ろしたくなるんだな。

 

ほんとクソ親であるが、気づいただけでよしとしてくれ。

結婚当時の判断とは

そのあと親戚宅から妻の実家へと帰還した我々家族。息子は汗だくだったし服も汚かった。

 

「早くお風呂に入って」

 

そういう義母や妻の言いつけをよそに、テレビが見たい息子はほぼ無視。何度かしつこく風呂に入ってと言われてようやく入っていった。

 

私はそんな息子を観察しながらも、「風呂に入れ」と言うことはしなかった。

 

ただ、結婚当時の自分を思い出していた。あの頃の私はもっと、子供達の行動に冷静な、客観的な判断を下していたはずなのだ。

 

例えばこのお風呂に関して言えば、息子が入りたい時に入ったらいいではないか。

 

さすがに汚い服で寝室に入ったり、風呂上がりの私に近づいてきた時には迷惑なので一言告げるにしても「風呂に入るかどうかのタイミングは息子が決められる」のだ。

 

そして従兄弟たちと庭で遊ぶ時も、私が注意すべきなのは大けがや命を落とす危険性があることくらいで、その他のことは自由にさせる。

 

空気が読めない話し方も、生意気な口調も、乗り気じゃない従兄弟に無理やり絡んでいく様も、私が口出しすることではない。

 

最初に私や妻なしで道路に飛び出すのはNGであることをしっかり伝え、合意をとった上で遊んでもらうというのが正解だったんだろうなーと今は思う。

 

最初から手を掴んだまま離さないというクソ対応によって、息子もイライラしたはずだ。

 

愛されていないとかでイライラしたり支配しようとすると、目が曇って困るな。

2年も一緒に住んだら家族になる

きっと、これは2年以上一緒に住んだからこそ生まれた新しい感覚なのだと思う。姪っ子ならこんなことでむかつかない。

 

結婚したばかりの時は、なんでも自由にしていいよ。好きにしていいよ。お風呂なんて入りたくないなら入らなくてもいいんじゃない?

 

そんな私が、今では自由にするな、好きにするな、お風呂は親が指定するタイミングで入らなければ許さない!となってしまったのだから。

 

毎日一緒に過ごして、距離が近づきすぎてしまったのかもしれないね。

 

近すぎるからあれもこれも干渉したくなるし、近すぎるから思い通りにしたくなる。

 

家族とはいえ、それぞれの人生だ。誰が最終的な責任をとるのか、これは誰の問題で、誰が乗り越えるべき課題なのか。

 

愛する姿勢を崩さずに、命を守りつつ、自分で責任を取れる範囲で自由にさせる。

 

2年前はただ「自由にさせる」だけだった私の考えもかなり変わったもんだ。

 

うーむ。親になるってのは、本当に修行だよねぇ。

 

子供達との関係性の悪化や引っ越しによるストレスで起きた身体の変化

3月末から怒涛の1ヶ月が終わりつつある。

 

物理的にはかなり早い段階で落ち着いたのだが、精神面は最近やっと。やっと落ち着いた。

 

新しい土地にきて、息子も幼稚園に入園したし娘も別の学校に転校した。また私も見知らぬ土地で毎日迷子になりながら送迎する日々だったが、かなり慣れてきた。

 

そして環境が変わったこともあってか子供達との関係性も変化し、先日も息子と大げんかしたし、娘の暴力も止まらない。

 

それでもストレス対策を色々と行なっているため、自分では「この程度のストレスどうってことない」と考えていたが、身体は正直で気づいたら結構ボロボロだ。

 

そこで今回は、尋常じゃないストレスによって私の身体に起きた変化を書いていきたい。

 

白髪が激増

まずわかりやすいのが白髪だ。もともと白髪が多い人なのだが、ストレスが高まると目に見えて白髪が増える性質である。

 

介護職をやってた時がもっとも白髪が多かったかもしれない。いたるところに白髪があって気になっていたりした。

 

だが気づいたら、当時の白髪に匹敵するんじゃないかってくらいに白髪が多くなっていた。びっくりした。

 

数ヶ月前まではほとんど目立たなかったので、ここ最近の話だろうね。

 

引っ越しの忙しさ、子供達の成長、環境の変化で増えたのだろう。面白い。

湿疹&粉瘤

また肌が弱いという性質も持っている私は、ストレスがかかるとすぐに肌に悪影響が出る。

 

特に今回はかなりわかりやすく出た。引っ越してきて十日ほど経った時から、顔の数カ所に湿疹ができた。

 

赤くて、かさかさした湿疹。そんなに大きくはないが目立つのがまたストレスに。

 

あと、ストレスが大きくなると顔に出てくるのが粉瘤である。

 

頬とか眉間あたりに、こりこりした膨らみ(しこり)が出てくるのだ。これ、悪化したらかなりの爪痕を残すので早めに全力で治したい。

 

いやー、ストレスってのがここまではっきり身体に出てくれると、逆にいいよね。わかりやすくて。

 

息子と仲直りをしたのを境に、少しずつ治りつつある。メンタル大事ですね。

知覚過敏もどき

そしてこれ。知覚過敏。多分。今まで知覚過敏に縁がなかったのだが、こんなにきついなんて知らなかった。

 

こちらも引っ越してきて10日目くらいから、突然両奥歯が染みるようになった。

 

冷たいもので染みるならまだわかるのだが、常温のものでも染みるのだ。常温の水を口に含むとめちゃくちゃしみるのでストローでしか飲めなくなった。

 

歯磨きは問題がないが、口をゆすぐのは温かい水じゃなければ痛すぎてゆすげない。

 

りんごも食べられないしミカンも超痛い。当然ながらヨーグルトも無理だった。サラダも染みるから食べたくない。

 

いやーこれは辛い。たかが染みるだけなのに食べられるものが制限され、さらなるストレス原に。食べたいけど食べられない。辛い。

 

もしかしたら虫歯のせいもあるかもと歯医者の予約をとったが、何かしてくれるのかな。期待したい。

 

こちらも少しずつ良くなっているようではあるが、まだきついっす。

ストレスランキング上位の生活

毎日のように山に登り瞑想をしたり紙に思いを書きなぐったりしている私が、まさかここまでボロボロになるとは夢にも思わなかったぞ。

 

さて、ここで一つ紹介したいのだが、ストレスランキングというものをご存知だろうか?

ストレスランキング

 

人生における出来事で、もっともストレス負荷が高いものは何かランキング付けしたものである。

 

引っ越しは36位にあるので、まぁそこそこ。だが6位にあるのだ。子供からの暴力が

 

我々夫婦は毎日のように娘からの暴力を受けているので、かなりのストレス環境にいるということがわかるな!

 

それだけならまだしも、そこに引っ越しや子供達との関係性の悪化が加わるだけで、白髪が増え、湿疹や粉瘤ができて、知覚過敏になるのである。

 

なかなかのいい修行場だ。我が家を精神と時の部屋と名付けたい。

 

しかもこれらの身体の変化もう少しで回復するはずだ。何度でも蘇ろう、私をなめてもらっちゃこまる。

 

子供達と一緒に夕ご飯を食べる重要性を妻が納得してくれた話

昨日は冷静に、落ち着いて書いたつもりであったが怒りがどうしてもにじみ出てしまっていたようだ。

「子供のためにやってほしいこと」を妻に押し付けても意味がない話 

 

簡単に説明すると、仕事から帰った妻に子供達と一緒に夕食を食べて欲しいとお願いしたら拒否られたという記事。

 

あと三日ほど経ってから書けば、もう少し前向きな記事になったのかもしれない。でも私にはどうしても拭えなかったのだ。

 

子供達と夕ご飯くらい食べようよ!平日に少しくらい子供達と家族四人で過ごす時間を作ろうよ!君が産んだ子供達じゃないか!!!

 

そんな、溢れ出る私の怒りが記事に反映され、愚痴のようなひどい記事になってしまった。

 

そして今回は、そのブログを更新した直後の話をしよう。

ブログを更新したあとの妻

ブログを更新して数十分後、記事を読んだ妻がやってきて話し合うことになった。

 

私は怒っていないと言ったが、やはり記事からは怒りが感じられたようだし、妻は妻でイライラしたようである。仕方がない。

 

これは私の問題だと言いながら、妻を非難する思いが見え隠れ。旦那の私だけ頑張って妻は何もしていないような書き方になってしまったのだから。

 

そして「じゃあどうするか」という話を妻が持ちかけてきたのだが、私はまだイライラしていてその話に付き合うことはしなかった。

 

うむ、私もなかなかのクソ野郎であるぞ。

 

夕食の重要性を知る

それから30分程度、私と妻はリビングにいながら一言も会話をすることはなかった。だが、突然妻がころっと意見を変えたのだ。

 

「わかった、じゃあ夕食をみんなで食べよう。私は子供達を寝かせてからお風呂に入るよ」

 

え?なんでだよ、昨日まで言ってたじゃん!

 

絶対に先に風呂に入るし、20時以降に風呂に入るなんて絶対にいやだ!!ご飯は一人で食べても何も変わらない!

 

そうはっきり告げていたのに何で?と聞くと、妻は色々と調べてくれたらしい。

 

例えばこれとか。

「一緒に夕食を食べる」ことの凄いメリット:日経ビジネス電子版

 

ハーバード大学のアン・フィシェル教授がワシントンポストのインタビューに答えていたらしい詳細が載っている。

 

簡単にまとめよう。

 

親が子供達のためにできるもっとも重要なことは何か、その答えは「夕食を一緒に食べること」だという。

 

夕食を親と一緒に食べることにより、暴力や喫煙、薬物依存やうつ病などのリスクが大幅に下がるという研究があるようだ。

 

さらに成績も向上し、ポジティブになり、いじめられるリスクも減るとか、本当かよと突っ込みたくなるほどの効果が語られている。

 

夕食を一緒に食べるだけで全て上手くいくわけではないだろうが、親と一緒に夕食を食べることは子供に強く影響するということなのだろう。

 

それを調べた妻は、ここまで意味があるなら最優先にするよと言ってくれたのである。

 

ありがたいね。

子供の頃の妻の話

妻は子供の頃は家族でご飯を食べていたそうだが、少し大きくなると一人で、テレビを見ながら、好きなものを食べる時間が幸せだったそうだ。

 

あーだこーだ親に文句を言われず、好きなテレビを見ながらご飯を食べる幸せな時間。

 

その印象が強かったので、親になった今も食事の時間をそこまで重要視していなかったという。

  

ただもし子供達が一人で食事するにしても、それはもう少し大きくなってからの話かもしれないね。

 

我が家の子供達はまだまだ幼児だ。

 

家に帰ってきてテレビを見てる子供達には、何を話しかけても上の空である。テレビに集中してまともな返事はない。

 

土日は一緒に遊ぶにしても、平日に子供達と同じ何かを共有して、同じ時間を過ごせるのは、夕食とお風呂くらいしかない。

 

意識しないと、子供達との時間が本当になくなってしまうのだ。

 

そしてそうやって一緒に過ごす時間は、「親に愛されている」と子供達が感じるためには必要な時間なのだろう。

家族4人で過ごす時間をなるべく増やしたい

というわけで、妻も一緒に夕食を食べることの重要性を知ってくれて、平日の夜も少しは楽しい時間が過ごせるのではなかろうか。

 

いやだって、私は血の繋がりがないとはいえお父さんではあるけども、やっぱり子供達はお母さんが好きなのだ。

 

お母さんと一緒に今日あったことや、楽しかったこと、悲しかったことを話せる夕食って、素敵じゃない?幸せ家族計画でしょう?

 

とりあえずいい方向に進んだということで、めでたしめでたし。 

 

昨日は怒りが滲みでてしまったブログではあったが、格好つけずに私の「心」を書くことにしているので、まああれはあれで意味があったよね。

 

お疲れ様だ。

 

「子供のためにやってほしいこと」を妻に押し付けても意味がない話

最近息子との大げんかを経てまた一つ成長したとんぼである。ごきげんよう。

 

成長したのはいいのだが、それでも家族は毎日変わっていく。家族との関係性もそうだが、物理的なスケジュールや日程も変わっていくのである。

 

我が家は3月末に引っ越してきて、まだ帰宅後の流れなどもさだまっておらずグダグダしているが、少し妻と争って気づいたことがあるので書いていきたい。

妻には子供達とご飯を食べてほしいお父さん

私の中での家族のイメージというかなんというか、子供達にはぜひ家族でご飯を食べてほしいと思っていたりする。

 

ただ私は食事制限が好きなので子供達と同じものはあまり食べないし、別途用意するのに時間もかかったりする。

 

だから、帰宅後の妻に子供達とご飯食べてほしいなーと思っているのだ。

 

円卓を囲むと士気が上がるという話もどこかで見たし、家族の時間なんて1日のうち2〜3時間しかないんだから、ご飯くらい一緒に食べた方がいいと思っている。

 

ただ問題は今の帰宅時間である。

 

18時過ぎに娘と息子を迎えて帰ってきたら、息子は砂だらけで汚れているのでお風呂に入らざるをえない。

 

なので私と子供達だけで風呂に入る。風呂をあがった頃に、妻が帰宅。なんやかんや片付けした妻が風呂に入るのは19時ごろ。

 

さすがに子供達を待たせられないので先にご飯をあげるしかないんだけど、一緒に食べて欲しいなと思うわけなんだよ。

 

というわけで、子供達が20時に寝るんだから妻は20時から風呂入ったらいいじゃんという話をしたら拒否された。

絶対に先に風呂に入りたいという妻

もともと綺麗好きというのもあるし、仕事から帰ってきて疲れているし、まず先に絶対に風呂に入りたいという妻。

 

遅く帰ってきた時は仕方がないが、20時を過ぎてから風呂に入るのはなしだという。

 

それでも「一緒にご飯を食べて欲しい」という話をするが、了承されることはない。さらにこんなことまで言ってきた。

 

帰ってきたら私が息子と二人で風呂に入り、娘は妻が帰宅後一緒に入る。そしてその間に息子にだけご飯あげたらいいと。

 

つまり息子は一人で夕ご飯食べるってことになる。

 

いや、いくらなんでもかわいそうすぎるだろ。家族四人いるのに、一人で夕飯食べさせるのか?ゆっくり一緒にご飯食べる時間なんて夕食しかないのに?

 

そりゃないわとだんだんイライラしてくるが、妻は帰宅後にお風呂に入りたいという主張を譲ることはなかった。

家族の時間が重要だと思っているのは私だけ

少しイライラしたが、考えてみるとこれは私の問題なのだ。

 

妻はそもそも、子供達が一人でご飯を食べようが何も変わらないと思っている。「家族でご飯を食べるべきだ」と思っているのは私だけ。

 

それなのに妻に「風呂は後回しにして子供達と飯を食べろ」というのは、とてもおかしな話である。

 

私が決めることじゃないし、家族でご飯を食べたいなら妻抜きで私が実行するべきなのだ。

 

だから、そうだよね。私がやりたいことなんだから、私がやる以外にない。妻は寝る前に絵本を読んであげたいとは言っていて、それを実行するのだろう。

 

私は私にできることをやろう。

 

帰宅後は子供達と風呂に入り、事前に料理を準備して子供達と3人でご飯を食べよう。その後に片付けを終わらせて、子供達と遊ぶ時間を持つのも重要である。

 

そして子供達が寝たら明日の食事を準備すると。食事は重要だからね、真っ先に取り組まないと、メンタルやられてしまうから。

 

なかなかにきついが、体調さえ整えればできないこともない。「悪いあの人・かわいそうな私」ばかり言ってても何も変わらんのだ。

人に期待しても仕方ない

イライラしなくもない。私だって働いているし、子供達の送迎して風呂入ってご飯あげて片付けして食事作って、なんでそこまでしないといけないんだ?って思うよ。

 

当然だよね、人間だもの。

 

でも実際時間の問題がある。我々の帰宅時間も遅くなっているし、それで妻が風呂あがるのを待っていたら、子供達のご飯も遅れ寝る時間も遅れてしまう。

 

成長期の子供達にとって食事も睡眠も大事なのだ。そして家族とのコミュニケーションも大事なのである。

 

そしてそれを守りたいのは私だけなのだから、私がやるしかないのだ。「子供のためにやりたいこと」ってのが、妻と私では違うだけ。

 

我々夫婦も一枚岩じゃないからな。

 

そんなわけで、そこそこに忙しい。体調壊している場合じゃないっ!

 

 

最後に。

もしこの記事から怒りがにじみ出ていたら、まだまだ未熟だなと思ってくれ。でも、私がやりたいことなんだから私がやるのが当然だと本気で考えているよ。

 

お疲れ様。

 

5歳の息子が「僕は自由じゃない!」と怒り出して激しい口論をした話

週末になると子供達と一緒に過ごす時間が増える。

 

公園に行ったり出かけたりすればそれなりに楽しい時間を過ごせるのだが、ちょっと家にいる時間が長引くと色々と面倒になったりする。

 

今回は出かける直前に息子と徹底的に「自由」について話あったことを書いていきたい。結構むかついたぞ。

僕は自由じゃないと主張する息子

今日はお昼からちょっとしたイベントがあったのだが、出かけるのは14時ごろ。妻の調子も悪く、午前はどこにも出かけなかった。

 

それもあって息子もイライラしていたのかもしれない。きっかけはわからないが、「僕は自由じゃないし、つまらない」と言い出したのである。

 

いやいや、君は自由だよ。好きにしたらいいじゃないかと息子を諭すが、こう反論がきた。

 

「だって、パパに抱っこしてって言っても抱っしてくれないし!アイス買ってって言っても買ってくれない!僕は自由じゃない!!!

 

なぜかよくわからないが既にそこそこ怒っている息子。思い通りにならないことに、自分のやりたいことができないことにイライラしているようだった。

 

ちなみに抱っこは何度もして疲れたから断っただけなのだが。

 

それに、私の行動までもが息子の思い通りになると勘違いされても困る。

 

息子が抱っこして!と私にお願いするのは自由だが、それを断るのは私の自由である。息子がアイス買って!とおねだりするのは息子の自由だが、それを了承するか否かは私の自由である。

 

息子は自由だが、私も自由なのだ。

 

息子は自由に好きに振舞ったらいい。そして私も自由に振る舞う。そう何度か主張したが、通じないもんだな。

5歳児にマジギレするお父さん

5歳児とこんな話をしても意味がないというか、お互いの「自由」の定義が違うので話はほとんど平行線だ。

 

「パパやママは車でどこでもいける!料理もできる!でも僕は車も乗れないし料理もできない!自由じゃない!」

 

ずっとこんな感じである。

 

ふざけんな!身体中がだるくて眠くて仕方ない朝に、私が喜んで学校に送迎しているとでも!?

 

自分が食べるご飯を作るのすらしんどい時もあるのに、自由だーと喜んで私がご飯作ってるとでも!?バカ言ってんじゃねーぞ!!

 

とまあ、売り言葉に買いことばでかなりイライラしたという話である。

 

他にも祖母の家に一人で歩いていきたいとか、自分のお金がほしいとかまあ色々言ってくるのだが。

 

結局は、あらゆる全て、自分だけじゃなく周りの人も親も環境までもが息子の思い通りになることが息子にとっての「自由」なのだと私は判断した。

 

お金をちょうだいと言えば必ずお金がもらいたい。遊びたいと言ったら必ず思い通りに遊んでもらいたい。

 

私の定義では、それを自由とは呼ばない。ただのわがままである。

 

自由というのは自分の「心」の話だ。自分以外の誰かが、状況が、環境が、自分の思うままに動くことはない。

 

自由を履き違えるな、そして自由を諦めるな。お前にはできることがまだあるはずだろう。

自分が自由かは考えてみてもいい

とまあそんな口論を30分くらいかな、結構長いことやっていて、妻が仲裁に入ってそこそこにいい感じにまとまった。

 

その後も許せない私が色々と話をしたが、息子が突然「もちを食べたい」と自由な発言をしたのでみんなでケラケラ笑って終わり。

 

しかしこの話をしていると、色々と気づくことがあるよね。

 

大人である私や妻が自由に好きなようにやっているか?と問われたら、その答えは確かにYESなのだ。

 

上で書いた眠い時の送迎も、だるい時の料理も、やりたくもない仕事も、それでもやると決めたのは他でもない自分なのだ。

 

本当にやりたくないならやる必要はない。それこそ「自由」なのだから。

 

でも自由を行使することにはそれなりのリスクが伴う。送迎をしなければ子供達は学校に行けず、友達とも会うことができないし活動範囲が大幅に狭まる。

 

だるくても料理を作らなければ家族の栄養状態を損なうし、成長期の子供達にとっては死活問題だ。

 

面倒臭いし嫌なこともあるし絶対にやりたくないとその時思ったとしても、それでも「やる」と決めたのは自分なのだ。その自覚がある。

 

この感じ、息子がいつになったら理解できるだろうか。

 

考えがあまりまとまっていないが、私はまあ息子の言う通り自由にやっている。そしてできないことがあれば、どうやったらできるかを考えている。

 

息子も「自由じゃない!」と嘆く前に、やれることがあるんじゃないのか。

 

私が君の思い通りになることはないが、それと君の心が自由なのは全く関係がないのだから。

 

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眼精疲労がやばすぎて8時間眠って運動してコーヒー飲んでも眠い話

最近は頑張ってお仕事や勉強に勤しんでいるとんぼである。ごきげんよう。

 

ただ聞いてくれ。もう目がやばい。ちょっと集中した時間を毎日のように作ると、気づいたら眼精疲労が復活していた。

 

タイトルの通り、とにかく眠い!

 

ちょっとこれは問題なので、本腰をいれて対策をとらなければならない。

 

ちなみに過去にこんな記事も書いた。色々やってたんだけどねぇ。

 

私の睡眠の質を見よ!

最近睡眠時間や睡眠の質を測る指輪型ガジェット、OuraRingを手に入れたので毎日のように睡眠の質を測ることができる。

 

朝起きた時に、私の睡眠が百点満点中何点か見ることができるのだ。見てくれ! 

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87点ってさ、かなりいいんだよ。85点以上だったらほぼ問題なしという数字なので、睡眠時間も睡眠時のリラックスも、日中のアクティビティもほぼ問題なし!って出てるんだよね。

 

でもさ、点数が高いと逆に朝起きた時に絶望する。

 

え?こんなに眠くて起きる気がしないのに87点?

 

といった感じ。OuraRingが100%正しいというわけではないだろうが、睡眠の質はそこそこに高いのは間違いないのだ。

 

問題は、睡眠の質が高いのに眠いということだ。

とにかく朝から眠い

8時間ほどがっつり睡眠をとった朝、まず眠い。起きたら眠くて、目が開かない。

 

目薬をさすとぱーっと目が開くようになるが、それでも眠い。顔を洗い、水を飲み、子供達を送る。

 

まだ眠いので山を登る。30分かけて山を登り、帰ってきてもまだ眠いのでコーヒーを飲む。

 

それでも眠いので十数分仮眠とるも眠い。仕方なくコーヒーを飲みながら仕事をする。

 

昼過ぎになって眠気が限界になって横になるも、目は重くて眠いのにカフェイン効果で眠れないというよくわからない感じ。

 

眠すぎるので腕立てにスクワットやらをやっても眠い。

 

いやー、これは異常だよ。眠いんだもん。

 

ちなみに今日はもう限界に達していて、昨夜は8時間近く眠ったのに昼から5時間も爆睡したぞ。

目の疲れを徹底的に対策しよう

というわけで、このままではもうダメなのでちょっと眼精疲労対策を徹底していきたい。

 

もしかしたら眠気の要因は目の疲れではないかもしれないが、単純に目が重いのだ。

 

日中も目がしっかり開かないし、朝起きてもまぶたが重くて動かない。眼精疲労以外に考えられないのである。

 

食事制限も順調だし、睡眠の質も上がっているし、運動もやっている。あとは目の疲れだけ解消すればもう少しいい感じに生活が回るんじゃなかろうか。

 

いくつか案を書いていこう。

定期的に目薬をさす時間を作ろう

まず目薬は定期的にさすように徹底しよう。今は朝・昼・晩と三回程度。

 

もう少し細かい時間を設定して、1日に5~6回程度はさせば少しは回復するんじゃなかろうか。

 

朝起きた時・食事前・うさぎに薬をあげる時など、必ず目薬をいれる時間を作っていこう。

目の周りの筋肉をほぐす運動をしよう

面倒だったのでほとんどやってこなかったが、目の周りの筋肉をほぐす運動ってのもそれなりに効果がありそうだ。

 

ぎゅーっと閉じて、ぱっと開くとか、近距離と遠距離を交互に見るとか。

 

これも、目薬をさす時に一緒にやるようにしよう。

昼寝と夜寝る時には目を温めよう

ドライアイにも眼精疲労にもいいのはやはり目を温めることだよね。ただ、結構面倒くさい。

  

これも1日最低2回は温めたいね。昼寝と夜寝る時は必ず温めるようにしたい。

一生眼精疲労対策をする覚悟をしよう

目が疲れてるなーという時には眼精疲労対策をやるのだが、少し調子がよくなるとすぐにやめてしまっているのが問題の一つだ。

 

多分、眼精疲労対策は生涯やっていくくらいの覚悟を持ったほうがいいのかもしれない。

 

眼精疲労でここまで眠気がひどくて日中の活動に影響が出るのだ。全力を出すべき案件なのではないか?

 

それにおそらく今後もずっとPCを使うし、本も読む。目の疲れの対策を徹底することは絶対必要なのだ。

 

というわけで、本気を出して眼精疲労対策に乗り出したいお父さんの話でした。昼5時間も寝たのに、今も眠いからね。おかしな話だ。

 

過酷な生活を乗り越えるために変態的なストレス対策を実施する話

最近、私の生活が「死闘」であるというコメントをいただいた。なんとなく振り返ってみると確かに死闘で、ストレスで何度か死にかけている。

 

体が動かなくなることもあったし、娘と息子の修復不可能なレベルで大げんかしたこともあった。

 

簡単に私の状況を書いておこう。

 

・妻の連れ子である子供達と生活

・娘は発達障害で暴力が多く、なかなかに対応が難しい

・仕事は自宅。ほぼ無職から最近は収入が少し増えてきたフリーランス

 

多分、結構なストレスがかかっているんじゃなかろうか。

 

それでも私が今こうして正気を保っていられるのは、「このままじゃ絶対に耐えられない」ことを察知して様々な対策を取っているからだと考えている。

 

大したことはやってないが、こういう話は好きで最近書いていないので少し紹介していこう。

自然に触れる

自然と触れ合うのはストレス解消にいいそうだ。簡単だし、真っ先に生活に取り入れるのは自然だよね。

 

引っ越した今は毎日山を登っていて、引っ越し前も大きな自然公園に毎日のように足を運んでいた。

 

緑の中で座り、ご飯を食べたり本を読んだり音楽を聞いたり。意識して自然に触れる時間をとっている。

 

あとはベランダでガーデニングも始めたし、そのガーデニングで育てた植物を部屋にもってきたり、仕事をしている時はイヤホンでずっと自然の音を聞いている。

 

何もやってないように見えるでしょう?結構徹底しているぞ。

毎日歩く

そして上に書いた通り毎日山に登っていて、30分は歩くようにしている。

 

今日も子供達を送迎したあとに山に登ってきて、とても空気が綺麗だった。素晴らしい。

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朝日を浴びれば睡眠の質も上がるし、ビタミンDも生成されるし、何より気持ちいい。30分のウォーキングで抗うつ剤一本レベルの効果があるというくらいだから。

 

この春休み中にも険悪になった子供達と一緒に何度か山に登ってみたが、ものすごいリフレッシュ効果ですぐに仲直りできた。 

 

歩け歩けー

瞑想する

そして2年前からずっとやっているのが瞑想である。少し途切れた時期もあったが、変わらず今もやっていて合計200時間以上はやっている、はず。

 

瞑想のストレス解消効果は結構有名で、どこかの国では中毒患者の更生施設か何かでも使われているとかなんとか。忘れたけど。

 

今も1日30分を目標に瞑想していたりする。今日も朝から山を登って、山頂付近で瞑想して帰ってきた。

 

本当は山頂でブログ書くのを習慣にしたかったのだけど、人がいなさすぎて怖いのでやめました。

睡眠の質を徹底的にあげる

以前に記事にもしたが、睡眠の質をあげるために寝室を改造しまくっている。

 

光ゼロ、自然の音を流し、エアコンで温度調整、アロマをたいて。寝る数時間前にはオレンジのサングラスをかけて光をシャットアウト。

 

日中に無酸素運動もくわえてさらに睡眠の質をあっぷ!

 

なんでここまでやるかといったら、睡眠の質が下がると本当にやばい。次の日のやる気がガクンと下がるじゃないか?フリーランスってのは、やってもやらなくてもいいんだよ。

 

やる気がしなかったらやらないよね。そうなると自己嫌悪するよね。最後は自暴自棄になって暴飲暴食して自己嫌悪して、そんな悪循環になる。

 

ストレス解消にもなるだろうし、日中の活動力を高めるためには必須ですよね。

 

認知行動療法を続ける

そしてこれも以前記事にしたが、認知行動療法のセブンコラムは4ヶ月以上毎日書き続けている。

 

このブログを書き終わったらやるけども、さすがにかなり慣れてきた。

 

日中にむかついたことや不安になったこと、イライラしたこと。なんでもいいのでとにかく一つずつ潰していっている。

 

以前よりはかなり穏やかになったし、自分の心を客観的に見られるようになったとは感じている。

 

とりあえず、怒りとか不安とかの自動思考はほぼキャッチできるようになったよ!マインドフルネスだよ!

 

これだけやっても死にそうな日がある

とまぁ色々書いてきて他にも細かいことをやっている。

 

ストレスを感じると同時に私は呼吸の速度を落とし、ストレスレベルを測り、頭の中でセブンコラムを実行する。

 

とか、これだけやってもストレスで全てを投げ出してしまいたい日があるのだ。

 

今日もストレスレベル8~9くらいのストレスがあったし、一朝一夕にはいかないよね。

 

ただ引っ越して環境も変わった。今住んでいるのはど田舎で周りは山ばかり。私にとっても妻にとっても、もちろん子供達にとっても神がかっている環境である。

 

少しずつ少しずつストレスが減って、メンタルが改善していったらいいのだが。今は豆腐メンタルすぎてね、生きづらくて正直困っているよ。